reflection primal

 kaico -邂逅- レーベルより私のアルバムがリリースされました。タイトルは「reflection primal」で、5〜6年くらい前に制作した曲を中心に、全10曲の構成です。

designed by Kikyu Sakata

designed by Kikyu Sakata

 このアルバムは、自身が今まで制作してきた電子音響音楽を、CD作品というパッケージに落とし込むにあたり、「一般的な音楽形態」と「具体的な録音素材による日常の音」の融合を試みたものです。それは、今まで行っていた音楽表現を、もっと別の形で広いリスナーに伝えられないか、という模索でもありました。

 収録曲の中に出てくる環境音は全て自身で録音を行い、DSD録音と呼ばれる、クラシック音楽やジャズの高音質録音のマスターに使われる録音形式を用いて、出来る限りリアルに録れる様に努めました。また、録音対象の選定にあたっても、日々を生きている中で必ず聴いている、普遍的だけれど記憶の奥にこびりついているであろう音を選び、多くの人の原体験に触れられるように試みました。

 なぜそれが必要であったのかというと、それはアルバムジャケットにも関係します。アルバムのジャケットに使われているイメージは、現代美術作家でもあり私の東京芸大大学院時代の同級生であったchise shimomuraの作品、”flowting sight #4″です。私はこの作品を一目見た時から、自分がこのアルバムで(もしくは自分の音楽の創作という行為そのもの)試みようとしていることに共通項を見いだしたような気がしました。その時にはそれがどうしてなのか何なのかは判りませんでした。しかしながら、アルバムのジャケットに作品の写真を使わせてほしい旨を彼女に相談し、実際にこれらの音楽を聴いてもらい感想を貰った時に、それがなんなのか判ったような気がしました。

 以下に作家本人の作品解説を掲載します。

floating sight#04 コンセプト
photo by Mitsutaka Kitamura

「floating sight#04」
photo by Mitsutaka Kitamura

 捉える事のできない風景の存在。私達が捉える視覚世界とは完全なる客体化された普遍的世界ではなく、個人の主観、心理、経験の蓄積、環境の重層的な相対関係によって再構築され、意識下に落としこむことで生じる世界である。

 意識が介入する限り、自身の視覚をとおして客体化された普遍的イメージを捉える事は不可能であり、その視覚世界を完全に人と共有する事は極めて難しい。しかしその固有の世界をとおして、他者の世界に点と点を結ぶように接続し、たとえそれが歪な形を生み出したとしても、乱反射しながらそれぞれの世界を紡ぐ事で私たちが身を投じる世界は生み出される。そのような個の集合によって一つの世界は織り成されている。

 深淵な森は私たち自身の内にも存在し、日々の連なりが点となり、線となり、面となり、一つの空間を生み出す。その個々の空間(世界)の集合が、私たちの存在する世界にほかならない。

 鏡が織り成す線は、原風景と重なり、一筋のシークエンスを呼び起こす。

・floating sightシリーズについて

 視覚世界と普遍的世界の存在に関心から、鏡を用い周りの風景を映しこむことで客体化された風景を立ち上がらせると同時に、自分自身の立ち位置、場、環境との関係性を浮かび上がらせるような作品を制作。光や時の流れを利用しうつろいゆく流動的な風景、視覚を体感させる。

・美術家Chise Shimomuraの制作ステートメント

 知覚の跳躍をテーマに、場と鑑賞者と作品との関係性に重きをおき、場を浮き立たせると共に、既定の知覚から逸脱した感覚を知覚の相乗性またはある種のずれを拡張することで作品をインターフェースとして言葉に回収されない潜在的知覚を覚醒させる。

購入先

saburo ubukata オフィシャルサイト

Amazon アマゾン (ユーザーレビューあり)

作品レビュー

・「TVBros 4月24日号 」ディスクレビューより

「メディアアートや作曲コンクールなどの分野で活躍してきた日本人電子音響音楽家の1stアルバム。ピアノをメインに、シンセ、蝉しぐれ、カラスの鳴き声、足音、花火、駅のプラットフォーム、何気ないおしゃべりなど、日本の日常に流れる環境音を加え、電子変調を施した、アンビエント作品。NHKラジオ「音の風景」、ブライアン・イーノ、その両方が好きなら耳の至福! 目を閉じて聴いていたい。 -サラーム海上」

・「Stereo 7月号」(音楽之友社)今月の特選盤より

「本文より抜粋〜使われている音は、波や雨や森と言った自然の音や花火等を生録音したものと、アコースティック楽器、電子音を加工したもの。特に不協和音ということはない。現実と過去の風景が解け合っている様子を音で表現したような音楽。BGMとして部屋で流しておいても居心地がいいが、自分の過去の何かを引き出してくれるような強い力も持っている。端的に才能を感じる。新しくつくられたものの中で、久しぶりに美しい音楽を聴けた。 -鈴木裕」

・ユーザーレビューより

 「環境音楽」、「アンビエンス」という言葉も知らずにこのCDを聴きました。静かに聴き入ってしまう音の風景です。音を聴くとともに、音が鳴っているリアルな空間−空間的広がりが感じられ、音の建築物のなかを進んでゆくような感覚になります。時間の芸術であるはずの音楽が、空間の芸術になっている不思議さがあります。

 森の中のように(耳を澄ますと)様々な音が聞こえてくる空間に身を置きながら、そういう音を排除せず、それとともに、その音に耳を傾けている人の内に流れるものも同時に聴いているような−内と外を同時に聴いているような−感覚になります。それが、大事な場所に降り立てているという、心の落ち着きを呼びます。 -めじろ